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八重山(やえやま)は、日本海軍の通報艦。艦名は沖縄県の八重山列島にちなんで名づけられた。 ==艦歴== 1887年に横須賀海軍造船所で起工し、1890年に竣工。8月23日、第一種と定められた。機関はイギリスのホーソンレスリー社製である。 日清戦争では、韓国派遣陸軍部隊の揚陸援護、大連・旅順・威海衛攻略作戦等に参加。 1895年10月、日本領となった台湾において抵抗した中国人がイギリスの商船「テールス号」に逃げたため、八重山がこれを追跡して臨検を行うという事件が起きた。これが公海上で行われたことからイギリスから抗議を受け、外務省は海軍に対して責任者の処罰を要求した。その結果、艦長の平山藤次郎海軍大佐と上司の常備艦隊司令長官、有地品之允海軍中将を予備役に編入することで解決が図られた。 1898年8月23日、通報艦に類別された。北清事変においては、大沽に派遣された。 1902年5月1日、海防艦武蔵が暴風のため根室湾口で座礁したため、その救助任務中の5月11日、暴風のため根室港厚岸鼻北方で座礁し、9月1日に離礁後、10月から翌年6月まで横須賀造船廠で修理改造を行った。 日露戦争に際しては旅順攻略作戦、日本海海戦、樺太作戦等に参加。無電の存在しない時代には、その快速を生かして基地間の連絡や偵察任務等に活躍したが、通信技術の進展に伴いその役割を終え、1911年4月1日に除籍、翌年3月23日に売却された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八重山 (通報艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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